頼惟勤先生ご夫妻のお宅を三訪した際のメモ
(嘗てプラッツを使用してゐたときのプリントから)
01
頼惟勤先生繋聯と言う方法は完全ではない。初訪問
  反切は始めから全体のことを考えて作ったのではないから、
繋聯という機械的な基準で調べると少し駄目なところがでて
くる。主觀を入れたのではなくて、陳はそこを直したん
です。駄目なところは、例えば、ここなんかはそうでしょう。
・・(豐敷空切
)。
あと、お互いに相手の字を反切に使っていて他と繋がら
ないと孤立してしまう。それを陳は繋げたわけです。
 1992.10.11,回答   ,
02
頼惟勤先生豐、敷空切。繋聯。初訪問
  これがそうです。東の中に実は二種類の韻が入れてあって、
直音である一等と拗音の三等。それが豐で空字を下字に使っ
ているために、これ一つで繋がってしまうわけです。下字を
隆にすると奇麗に別かれます。陳はそうしました。丁度、
切韻の写本をみると敷隆反になっていて、
敷隆切とすべきだ という意見の人もいるわけです。
そういうことがこの訂正なんですね。
 1992.10.11,回答・例示,
03
頼惟勤先生ひとつのもの(補い合う関係。)初訪問
  (「反切上字表」)。206韵全部ひっくり返しながらやる
なら違いますが、そうもしていられないでしょうから、そう
でないならば、これを使うのが良いでしょう。・・・。こちらに有れ
ばこちらはそこにはない。衝突しない。有る条件で違う現れ
方になっている。一つのもの。(舌頭・舌上)。(cf.唇
音)。齒音もよく視ると足して一つになっている。だからこ
れも本当は一つしかないんです。(歯頭・正歯・歯上)。
 1992.10.11,特徴・注意,
04
頼惟勤先生豐、敷空切。唇音。初訪問
  唇を合わせるときにすぼめる動きの中にウといったような介
音に近いものが付随しているので、そうなるわけです。これ
(豐)が又そうですね。唇の音なのでここで混乱している訳
です。直音のオngなのか拗音の要素が入ったイオngなのか上
字の唇音の要素の所為で下字から分からなくなっている。
 1992.10.11,回答・例示,
05
頼惟勤先生修論の目的は。初訪問
  現在の学会の最高水準がどのようなものかをはっきり把握す
ることにあるのでしょ。
 1992.10.11,確認   ,
06
頼惟勤先生理論から個々個々から理論繰り返し。初訪問
  上古音に戻ったからといって済むかというとそうでもないと
ころが有ってね。全体を包む理論に行ってもそこで総て解
決がついた訳ではないですから、又細かいことに戻ってゆく
そこから大きな理論に組み上がってゆくことがあれば理論
が進歩する。そこから他の細かい事の捕え方も変ってきます
ね。そして事細かい事に戻って探っていく。理論に行って細
かい事細かい事に行って又理論に行って細かい事に、理論。
何処かで終わるものじゃなくてずうっと繰り返しなんです。
 1992.10.11,指南   ,
07
頼惟勤先生解かるように旨く説明できれば。初訪問
  (聞いて面白かったのに言って解かってもらえないんです)
どうも音韻學というものはそういう世界になっているような
んですね。面白くしっかりと解かるように説明できればそれは
・・もう、(それはたいしたものということですか)・・
、そうです、・・。
 1992.10.11,返答   ,
08
頼惟勤先生必ずあちらの文字で書く必要はない。初訪問
  昔から書き方は有るので、それで音の特徴は、解かるし、そ
れを視れば圖の位置がすぐ分かる。それをカールグレンとい
う人が研究するときに、違う自分達の世界の書き方をしたの
であって、必ずしもそうすることはないのです。
こうかというとこちらがこうだからこっちはそうはならない
ではこうか、あちらがそうだからそうはならない、では、と
いうふうに、ぶつからないように考えていけばそれがどんな
音かはわかってくるわけです。
 1992.10.11,回答・指南,
09
頼惟勤先生先づ廣韵、説文はそれから。初訪問
  廣韵をおやりになってから説文へゆくといいでしょう。
 
10
頼惟勤先生(韻鏡は)これがあると一番いいんですがねえ初訪問
  これを持ってますか?(もう頁だけ。松雲堂影印の本かも)
(「る」C.F.)あるならばそれを使い潰すつもりで。作って
いくうちに又次の段階の疑問が聞きたいことが2つ3つと出
来てくると思います。
 1992.10.11,使用・指南,
11
頼惟勤先生ん?。これは「韻鏡の」開合ですね。次訪問
  夜分突然の為、玄関先で失礼。それでも詳しく要所を看てく
れた。そこでの一言の内の一つ。
 1993..,所見・確認,
12
頼惟勤先生こんなに出てましたか。次訪問
  歌戈の三等のことだったと思う。
 1993..,所見   ,
13
頼惟勤先生研究の基本は刊本に置くのがよい。
  写本は色々と難しいことも出てきてそれを追い回すことにな
り、本道に身を入れられない。刊本である廣韵を踏まえてか
ら。そこで切韵殘卷などにも手を伸ばすのが宜しい。先づ廣
韵のことなら何処をつつかれても平気になっておけば。
写本にいくときになったら上田正さんのアレをたよりになさ
い。
 1992.10.11,研究   ,
14
頼惟勤先生この作業を踏えて出来ることは何か。
  どうしてそう成るのかをずっと考えていく。それは何であり
、何処がどう違うのかを踏まえられるのが先決である。其音
を韵圖の中に見つけられねばならない。先づ廣韵の韵圖を作
る。
 1992.10.11,研究   ,
15
頼惟勤先生廣韵の韵圖を作るには韵鏡がよい。
  今の人は色々工夫して作るが、私は韵鏡がよい。なれれば簡
単でとても便利。工夫して違うものを作ってもそれはその人
限りのもの。他の人はまた一度は韵鏡に戻らなければ成らな
いのだから。作ったのを、韵鏡というものが存るのだからそ
れにあわせてゆくのがよい。そうすると、韵鏡を見て解かる
ことにもなっている。さて今の人は何を使うのか私は知らな
いのだが。他の人は何を使うか知りませんが、私は、韵鏡が
善いと思うんです。
 1992.10.11,使用・示唆,
16
頼惟勤先生(廣韵の)韵圖を作る事
  作ったその人はそれで済んだ。けれども他の人は、それを見
たからといって、それで済んでない。韵圖上にその音を知っ
ていなければ成らず、韻の特徴も分かる、というのは全く習
熟の問題です。反切から韵圖の中に場所をみつける練習。できればどういう音か解る。
全部やらなくても、後とは分かるようになり
ます。韵鏡と突き合わせて實際に韻圖を作っていく事によっ
て、重紐や唇音などの問題点がああそういうことなのか、と、
解かって来ます。先づ韻圖を作ること。
 1992.10.11,学習手順 ,
17
頼惟勤先生韵圖の作成手順。
  簡単なのから手を付るのがよい。短いといってどうかは善し
悪し。一等(東は混ざってるからあと)が一番簡単。次に簡
単なのが四等。次が二等。次に三等。純粋三等と其他等の違
いも韻圖を作る事で分ってきます。すぐ教える人がそばにい
ない場合、答えを脇に置くのが宜しいでしょう。答えは見な
がらだけど、まあ、「自分で」作る。韵鏡又馬渕さんの本を
みれば、答はそこにある。反切紐序字數も書いてあれば便利
其為には工夫も。上字は便法として表を使って探す。脂複雑。
 1992.10.11,学習手順 ,
18
頼惟勤先生三十六字母の實際は四十一聲類。
  41−36=5=齒上と于喩。今の人は人によって呼び名が違う。陳
から始まってそれが続いていたが、趙元任(ジン)から
まちまち。彼は切字の中で例の多いものを代表とした。他に
も色々。陳氏は説文に始めに出てくる字を取った。中身は同
じものを言っているのだから、こんなつまらないことだけど
、くだらないことでつまづかないように。
 1992.10.11,学習注意 ,
19
頼惟勤先生韵鏡の清濁の並びは喉音だけ異る。
  こうしてあるからしょうがない。「清・清・濁・濁・清濁(
于3)・清濁(喩4)」。この于と喩は人によって呼び名
が異なる。(齒上も)
 1992.10.11,特徴   ,
20
頼惟勤先生説文入門の体裁
  本来ならば、書名索引くらい付けるべきだったけれども、付
けなかった。読んでいくうちにわかるというものが善いと考
えた。索引で引いてそれではいわかったなどと言うのはいけ
ないと思っていたので。そういうことをした人は前にも居て
、錢大という人の、十駕齋養新録?たしか潛研堂文集の
なかの、「荅問」に倣った。(錢氏の荅問も勿論註疏様の伝
統の流れの中に出てきたもの。)
 1992.10.11,著書   ,
21
頼惟勤先生廣韵の一等韵は小韵數が19。
  東の韵は混ざっているので(この一覽からは今は?)わから
ない。模の韵なんかは簡単。一つの韻の平上去と韵圖を作っ
ていって次にいく。こことこことこことここは字がない。枠
は23列(×4聲・4等)。引くと19。一等は19個。灰
もそう。豪なんかはとても簡単明快。何も問題が、
なくて。やはり19。
小韻の番号と頭の字と反切と、出来れば字の數も
入れて、そのためには少し工夫をして。
 1992.10.11,特徴・手順,
22
頼惟勤先生『廣韵と韵鏡』昭和49年3月
  これは持ってますか。これがあるといいんですけどもねえ。
余分がもう無いので。文章でこう書いてますけども、中身は
今言ったようなことがかいてあるんです。
 1992.11.12,指南書  ,
23
頼惟勤先生要るのは43枚の圖だけ。
  こういうのがあるといいんですけどもねえ。今、注がごちゃ
ごちゃあちこちに付いているのがあるけれどもあんなのは一
つも要りません。邪魔です。最初からあんなものを見ても、
他の何処にどんな音があるとかなんとかいっぱい書き込んで
あるけど、あれに全く意味はありません。43枚こういう圖
だけ用意してください。
 1992.10.11,学習手順  ,
24
頼惟勤先生作業をした分の結果。
  幸いに音韵學の場合は作業をした分の結果が確實に積み重な
って、呉れますから。どうしてそう成るのかということを広
げていけばよい訳です。
 1992.10.11,研究   ,
25
頼惟勤先生下字の表は中國語音韵論の(藤堂さんの)
  他にもいっぱいある。音韵論もっていますか?それならこれ
は、いいですね。
 1992.10.11,学習工具 ,
26
頼惟勤先生開合一対の転での、唇音の衝突。例第1・3三訪問
  唇の音はどういうわけで開合どちらかに寄せられているのか
という問いからの発展。
第十三・十四転。平I2・3&上I3・4。去I4。
大雑把にいうと開合。カイハイの関係。しかしこれからする
と、主母音が違っていったのであろうという意見も出た。そ
れが切韻編纂時代か韻鏡が作られたであろう時代のことかは
わからないが、普通の開合の関係ではなかったんであろう、
ということなんです。
 1993.07.15.,教導   ,
27
頼惟勤先生開合一対の転での、唇音の衝突。例第2。三訪問
  第十五・十六転去II1。
こういうことで議論したのは陳の切韻考。今では古く
さくなった。
今のではこれをと言って、持って来てくれたのは、上田正『
切韻諸本反切総覧』。
 1993.07.15.,教導   ,
28
頼惟勤先生開合一対の転での、唇音の衝突。第4。三訪問
  第二十三転入I4。上字矛、諸本でそうだとすると廣韻とし
ては矛のつもりらしい。ただ、予だと等位に疑問。
 1993.07.15.,所見   ,
29
頼惟勤先生上古の部と中古の重紐は私の言った事でない三訪問
  (先生の・・もよく解かってなかったと思うので改めて読み
返さなければと思っています)あれは私が言ったことではな
くて董同啝さんというひとが言ったことで。上古音韵表稿
にそのことはよく書いてあります。
 
30
頼惟勤先生衝突と、本来と増加の別。三訪問
  外卅五・卅六平II1衝突。「ほお、面白いのが出てきました
よ、これは面白いのが有ます」言って本を取ってこられる。
自分の事を広めるみたいになりますがと御著書211頁(「『
切韻』について」)。庚耕韻首の纏まりから外れる。「この
時は気がつかなかったから書かなかったんです。」浜どう
も略字のよう。所収余り多くなく有力な字じゃない。ないと
思って差し込んだのではないか。これを後の人による増加と
考えることで、両方とも解決する。
 1993.07.15.,指摘・案法,
31
頼惟勤先生中国語学事典。三訪問
  朝鮮語学の概略はこれを見ると解かりやすい。
「ことてん」江南書院。「内山書店の棚にかなり永いこと売
れ残っていた」「今はもうないだろうけども」。一応、河野
先生に検閲をしてもらいましたから、ひどく間違っている所
はないと思います。
元分冊。俗称の「手册」はそこから。
 
32
頼惟勤先生上古音韵表稿の版。三訪問
  本人も雑誌に書いているように、誤字誤植が非常に多い。(
原稿があるかどうかは知らない)。日本に一冊しか來なかっ
た石印の六同別録の初版は京都あたりにある筈。
 1993.07.15.,助言   ,
33
頼惟勤先生そういう事(二重声母)なら表稿で調て見ては三訪問
  KL。そんなに通摂あったかなあと翻検。XM翻検。この人
が慎重なのは、KLやSLということを一言も言ってない。
ただそこに(L)・(S)と書いてあるだけで、ほんとは何も言
ってない。そこにこの人の態度の慎重さが出ている。
 1993.07.15.,教示   ,
34
頼惟勤先生俟母。三訪問
  先生著41p.c.f.。1−I,IV専。2−II。
八II17に、在って欲し くない。の派出とも考えられる。
ここまでが整理。4,5は意見を入れているもの。
II等に出ない。そう在ると客観的に観るのが良い。整理の意
識をあまり表に立てない方が良い。解釈・意見として付け加
える。
 1993.07.15.,説明・指南,
35
頼惟勤先生喉音曉匣と明は関係が深い。三訪問
  (問。孔丘と『墨子』の孔某、XMをどう考えたらよいか)。
表稿で無声のM。
 
36
頼惟勤先生韻鏡は勉誠堂の。三訪問
  先生のは昭和10年5月再版。序、異なる。
 1993.07.15.,回答・助言,
37
頼惟勤先生他と異なる分布をする韻がある理由は?三訪問
  大矢透の韻鏡考に論じてある。意味は考えればそれなりに有
るかも知れないが、元々便宜上のこと。庚の下の清。祭。宵
。IVだけ仕方なく。一番凄いのが夬廃等の去声を入声に寄せ
てしまっているもの。
反対に其丈しか無くて看易いのが支etc.なんか。
 1993.07.15.,回答・指南,
38
頼惟勤先生臻の仄声。三訪問
  例えば、眞諄の中に隠れている臻の仄声は、韻図を作るよう
な作業をすることによって初めて、はっきり顯われたのであ
ろう。
 1993.07.15.,指南   ,
39
頼惟勤先生戈IIIが歌に出て来てるのは?三訪問
  全て、仏典に出てくる外来語。中国語が元々固有しない音。
 1993.07.15.,回答   ,
40
頼惟勤先生塩凡の関係。三訪問
  凡はもしかしたら塩の合口。韵書によって凄く異同が有って
、真相はわからない。
 1993.07.15.,指摘   ,
41
頼惟勤先生隠れた韻。その2・3三訪問
  平上の無い去と入に寄せた去に平上が実は有ったかも知れな
いという説がある。祭夬廃に、それらしきもの。泰はI等で
もあり、さすがに無い。(十三〜十六)。
韵書の立場は実用だから微弱なものは削られてしまう。
冬上。少ないが皆、経書、詩経か何かに出ている字。
 1993.07.15.,指南   ,
42
頼惟勤先生三訪問
  四7−ハイ あらゆるところに(そういった隠れたものは含
まれている、?)
 1993.07.(15.),?    ,
43
頼惟勤先生第八転の歯音。三訪問
 
 1993.07.15.,?    ,
44
頼惟勤先生内転に歯音二等あり。三訪問
  例外が多い。厳格に適用すると、十七は外に。あらゆる意味
でおかしい。対応する合も・十九・二十もみんな外に。臻は
異化。臻摂は全く、我々の考える意味での内転。そして山
摂が外転。
廣韻と韻鏡とでは実用性が違う。何処までが実用性で何処ま
でが音韻論なのか。それぞれの場合について看極めておかな
ければならない。
 1993.07.15.,指南   ,
45
頼惟勤先生廣韻作業三訪問
  新しい小さいのが有りました。これは持ってるといい。
(文史哲出版社・王志成・民国73.09.04.)。
 1993.07.15.,工具書  ,
46
頼惟勤先生韻鏡影印の盲点。三訪問
  e.x.十八去I6・十四寄II19。明かに何か周囲の字と違う。問
題の字は往々にしてこういうことがある。初め朱の場合、圈
があるのであろうが、覆刻したときにそれはどうか。また朱
は影印に出ない。影印は事業なので兎角体裁を繕ってしまう
ことがあり、それが間違っていたり、元と違っていたりする
ことも起こり得る。だから「永禄本によると」なんて言えな
い。
 1993.07.15.,注意   ,
47
頼惟勤先生汲古書院三根谷徹新著は持っていた方が良い三訪問
  こういうものは売り切れるともう出ませんから、これは今の
内に早く買っておいた方がいいですよ。これは持っていた方
がいい。
 1993.07.15.,助言   ,
48
頼惟勤先生切韻考の検證。三訪問
 が切韻考でどこまでの仕事をしているのか検證してみ
るのも手でしょう。切韻考の声母は切韵指掌図の順序。内篇
の方に講釈がある。理解の程度がそのレベルなら、内篇の方
が解かり易いでしょう。
 1993.07.15.,治学方法 ,
49
頼惟勤先生代表的各地方言の特質。三訪問
  粤語は極て中古的。韻尾を特に保存している。(長短。私は
そう思う。音質の違いと言う人も)。広東の体系を下地に
持ってる人が北京語を聞くと、成程昔はこうであったんだろ
うなあと思うであろう古い特徴がある。四等。介音の保存が
よい。韻尾は例の変化を経ていて余りよくない。もっと駄目
な、駄目という訳ではなく其は其で適っているそういうもの
なんですが、そういう地方もある。(蘇州)。所が其代り声母
の保存が一番良い。夫々に古いものを受け継いでいる。
 1993.07.15.,回答・  ,
50
頼惟勤先生追体験を疎かにすると、・・・・・。三訪問
  (全然駄目なことになる)。
 1993.07.15.,警告   ,
51
頼惟勤先生経書の学問。三訪問
  基本は経書。昔からずっと在る物。他は性格も違う。その時
限り。応用にはなっても根本にはならない。なかでも音韻な
らばなんといっても詩経だから、詩経を読む時にどういう所
に疑問を持ったのかから始まらなきゃならない。それにはま
ず詩経そのものを讀み込んでなくてはならない。原典の作品
を読まないで其あとの研究書ばかりいくら読んでも何にもな
らない。読む其時間が無ければ成らない。
 1993.07.15.,治学方法 ,
52
頼惟勤先生全て顧炎武から始まっている。三訪問
  (十部説の證例を確かめることもそうだが)音論も読まなく
ては。訳が有ったほうが便利だと思うがまだ無い。作るのは
大変なこと。
王力が抜いてくれている、あの本のいい所は参考に抜いてく
れている所。王力がどのような所を(大事に思って)抜いて
いるのか視てみるのもよい。
 1993.07.15.,治学手順 ,
53
頼惟勤先生江永の四聲切韵表をふまえる。三訪問
  作った韻図と頚っぴきで理解してみては。江永の四聲切韵表
がどんな仕事だったのか解かれば、清朝のことはもう、・・
・・・、全部解かってしまったようなものです。
 1993.07.15.,回答・指南,
54
頼惟勤先生そういうことを気にし始めると。三訪問
  廣韻と合わないところ。異本。
 1993.07.15.,拾遺   ,
55
頼惟勤先生43しかない限られた物。三訪問
  一度やってしまったら其分は分かっている。(そうでないも
のにはどういうものがありますか)。文学論なんていうのは
そうでしょう。もう一度読んでみたら何一つ分ってなかった
なんていうことがある。
作業が嫌になったら又後で始めるまで置いておくしかない。
その時に一番駄目なのが、何をどこまでやってあるか分から
なくなってしまって、又初めからやること。必ずどこまで何
をやってあるか記しておく。
 1993.07.15.,回答・注意,拾遺
56
頼惟勤先生仕事をしていれば自信がついてきます。三訪問
  仕事をした分のことは確実に音韻学は解る訳ですから。
 1993.07.15.,助言   ,拾遺
57
頼惟勤先生手段があるならば。三訪問
  (東洋文庫)そういう手段が手近に、有るならば、それをや
ってみるのもよい。それならばあれを見たらよいという風に
近くにすぐ教えてくれる人がいるならば、切韻残巻について
上田さんのやったような仕事を(補えるような仕事を)して
みるのも。
 1993.07.15.,助言   ,拾遺
連繋欄:

ここにあることは、たまに他を思い出すことがあるたびに部分的であって、 ゆくゆくは思い出す全てのかけらをメモ出來ればとおもうのですが 未だ果しません。
頼先生によるご指導や説明の纏まりは、他に、 このセットの 韻鏡型四十三轉圖各おのに宛てた ジャーナル−ファイル・セット( → 43/P/J01.HTM43/P/J43.HTM ) に反映しました。
ここのメモは、 それらの説明があとあとそのファイル作成當時まで成り立つ爲の、種であり, 當時までや現在までの、指針でもあるわけです。
一應、補足欄をここの下に設けますが、 他の何か(テキスト−ファイルや電子−メール)に書き殘すだけの場合も出る と思いますので、ご了承下さい。
(西暦二千八年五月二十日。)

補足欄:

聲紐名稱について
各家によって名附けと排列の基準の根據があり、 漢學を重んじるので説文順とかいう風にその態度に特徴が出るだけで、 一應それぞれ一人一人の説の中で整ったものであって、 押さえておける=別に昏亂したものではなくて整然とした整理なので ばらばらではなく, それぞれただそれだけのもので簡單なのだけれども それぞれの統一性があること。
説文で初出の字・用字の頻度が最多の字・等々。
このことは、具體的に、 誰々は何々です、それで誰々は何々、…、と全て整然と列舉されたのであり、 自分でも見た記憶が過半なものな上に廣く正確詳細懇切であったのだが、 まぁそれはそういうことと知ってゐれば良いという風に 一直線に話しが通り拔けてしまい, 次の機會にもう一度お尋ねしようと思った時には、 そのようなつまらない瑣事がわざわざ思い出して言う程の何であるか という感じのご表情で、その時には先生にももうさして必要でなく、 同時に、一度一度のその時だけの「言葉による傳え」は、 以前の、最初の一言で質問に答えて下さった全部の列舉とその前後が、 (そのことでも)その時であったのだということを知った。
最初にその方式で並べた人が列舉され、 それぞれに皆な分けれるという言い方だったので、 覺えておくべきであったと思う。
教えて頂いてゐたことの進む中では、自分で改めて確實に全部知る閑は無いから、 聞いたことをメモせずに忘れてはいけなかった。
《ベトナム漢字音の研究》
ベトナム漢字音の把握について、どのように入門したら良いかを尋ねたところ。 三根谷徹さんの《〜》という本が今は書店で買える時期であって、こういうものは 書店に出回って入手可能であるうちに買っておくのが良い。逃すとあとで買えない ものであるから。そのようにして買っておくのが良い本。このように推薦出來る意 味のその本が有るのが偶々の良い該當例であり幸いであり喜び、そんな感じの意味 になる短かい一段のお話しであった。
古音と今音の關係や文獻の解釋などで、どうしても納得のいかない意味の取り方や説明の仕方や繋げ方に惱むという私の相談告白について
それ(A)はそういうふうに文獻を並べれる人がゐて、文獻指摘は有り難いのだからそれを拾って讀む、ということは、私の實際のせめてもの辿り方と符合してゐて、符合有無からではなく、もっと本質的に、とても人とゐる氣がして(氣ガシテ←→=←→=ソノコトガ實際デ)樂しかった。これを破った(B)ものがある。どうなるかは悲慘で(B)、私はそれ(ソレA)を寫し打鍵することによってそれ(ソレB)に至ってをり、その最後近くでこの條でのお言葉を思い出し、遂にはこうして記入してゐる( SRC/ARQIEYUN.TXT 「●0004.」)。
だが又た、このことは頼先生の御著書へも行なってしまった、それが説文入門への細螢光傍線で多分(それが夢でなければ)このファイルの前行のどこかに書いた。
音論のリンクセットのリードミーテキスト内に殘るメモからの貼附整形
頼惟勤先生曰:

「音學」音論爲階、「爲何」是讀詩經、
「略讀之」如甚易、辧據精讀者罕、
若解「江永四聲切韻表」、清朝音學「一應卒業」。』
林克先生嘗曰:
『「索引」出來後、韻圖韻書組、始「可談」與吾。』
((地獄のような免かれがたい恐ろしくも絶對でもある至言自體をいつの間にか全く)忘れ(て覺えてる積もりでもゐ)るとは(眞に)恐ろしい…(2008年06月20日貼り附け整形))
韻鏡本圖以外用ファイルに殘ってゐたメモより
[嘗先師云。
韻鏡之用、惟在本圖、四十三轉。
其他皆屬後代、不可以末紊本。
亦學習途上、一心於求本、一切顧末。]
本になってないものこそが本当の事
どの本にも載ってないことこそが、本当の大事な事でしょう?
( 2015.09.01. 附記す)
【次はここ】
【次はここ】
【次はここ】
【次はここ】
【次はここ】
【次はここ】
【次はここ】
【次はここ】
【次はここ】
【次はここ】

[ QYT Index ] | [ Texts Index ] | [ Top ]